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2006年8月13日 (日)

山梨発 日本初滑走路ライブ

Dscf1237 いよいよこの日がやってきました。「日本初」がこの山梨で行われるのです。

何が日本初かって?これまでに山梨で「日本初」があったのかあらためて考えてみました。

「日本一」は富士山果物、水などなど数え切れないくらいあるのですが「日本初」となるとなかなか耳にしないものであります。

昨日行われた郷土の英雄「レミオロメン」のコンサートは「滑走路で行われる日本で初めてのコンサート」だそうで、山梨で3万人の観客を動員したことは祭りごとを除いて他にはなかったのではないかと記憶しています。

Dscf1238 山梨県の甲斐市にある日本航空学園で行われたこのライブは「超」人気バンド「レミオロメン」の野外ライブとあって、県内では事前から新聞テレビでの報道はもとより、多くの県民の間で話題の中心になり、チケットは発売と同時に完売となる前評判であった。

私もこのプレミアムチケットを何人かの友人に頼まれて手配するのにかなりの時間がかかり、その人気振りを目の当たりにしたものであった。

「子供にも見せておきたい」という女房の提案からそのうちの4枚を確保し、見たことも聞いたこともないグループのライブをこの猛暑厳しい山梨の地、しかも照り返しが普通の場所とは明らかに違う滑走路の「灼熱アスファルト」という特別な場所でのライブに参加することになりました。

Dscf1239 午前中からこの方面(コンサート会場)に向う車の流れが悪く感じた本当の理由は定かではありませんが、混雑が予想されるので早めに出たほうがよいということで、2時開演に対して12時前には出発した。

甲府駅からはこれまでに見たことがないほどのシャトルバス(大型150台随時運行らしい)が運行しており、当日券はないとのことからJRで2つとなりの「塩崎」駅まで満員電車に揺られた。

私自身塩崎駅で降車するのは初めてのことなのだが、塩崎駅でも開駅以来これだけのお客さんが乗り降りしたことは過去なかったことは誰が見ても明らかな状況であった。ホームの広さがこれだけの乗客が乗降するには狭すぎる上に、改札も臨時のものができており、配布のビラには帰りはこの駅はもしかすると3時間の電車待ちの可能性があるなどとかかれる有様でした。

Dscf1240 駅前通りには辻辻に警備員、スタッフ、警察が立っており、切れることなく押しかける人の波の整理に追われていました。

暑さ対策にとリュックサック一杯に詰め込まれた飲み物、椅子、カッパ、お菓子とピクニックに行くかのごとく大量の荷物は駅から会場までの道のりでずっしりと方に紐が食い込むほどの量であった。

15分ほどの、普段では歩くことなど絶対ない道を歩いて会場に近づくにつれてコンサートに雰囲気が伝わってきました。

Dscf1243 普段滑走路に使っている場所には全国から「ツアーオフィシャルバス」と書かれた専用バスがぎっしりと駐車されており、このライブの人気と規模をあらためて確認することができた。

山梨で行われるイベントの一つでヴァンフォーレの試合は毎試合1万人の観客を動員しているわけだが、慣れない場所にその3倍の人間が集まるのだからその準備たるや相当の苦労があったことが随所に感じられた。

Dscf1244 我々がバスの間を通り抜け、普段通ることのない学校の宿舎の間、ブルペンの脇などを通ってゲートに近づいたころにそれまで「熱中症」を恐れて用意してきた重ーい、リュックの中身が一部不要になる前兆が西の空に現れた。

明らかに雨をもたらしてくれそうな厚い雨雲と時折その薄黒いキャンパスに縦に走る稲光が発生しだしたのである。

ここのところの日本国中を襲っている落雷の報道が来場者の恐怖心を一層かきたて、悲鳴に近い歓声がところどころで聞こえてくる。

Dscf1245 「雨が降ったらすぐ帰るぞ」の約束の下どうにか我々もこのゲートをくぐることになった。

折りしも昨日は日航機事故から21年目の日、そんな日に滑走路ライブ、追悼になればいいものの、呼び水にでもなって「滑走路に稲妻走る、死者○○人」なんていうニュースの見出しが頭にちらほらする始末であった。

まあここまで来たからちょっと見ていくかということで一応場内に入ることにした。

3万人という人の数はあらゆるところで予想外の事態を招くもので、まずは飲食ブース、見た目には十分すぎるほどの飲食店があったように見えたわけだが、そこには長蛇の列、さらに会場へ進むと何やら大勢の人が何かに並んでいる。

「我々も並ぶのかな?」と心配していると「トイレの最後尾はこちらです」見た目には多すぎるトイレもこの有様。

だんだん風も強くなってきて、雨もぽつりぽつりと感じられてきた。

席に着く前に用意したカッパを着用しD-1ブロックに向い始めたその瞬間バケツをひっくり返したが如くの大雨がその3万人めがけて「ひっくり返ってきた」

Dscf1248 多くの観客はカッパを持っていたが、その準備がないと「濡れたTシャツ」が肌にぴっちりくっついてとってもセクシー。

「これが女性だったらなー」なんて考えたのは僕だけじゃないでしょ。

そこにいることに疑問を感じるくらいの土砂降りの雨が降り続いた。

同時に稲光が周囲で発生し続け、「ピカ」と光ってから何秒で「ゴロッ」と鳴るかでその距離がわかることから、そんなことを数えて時を過ごした。

Dscf1249 すぐ出られるようにとブロックの一番後ろの入り口に陣取ったものの、大降りの雨と、肌寒さで子供たちは限界寸前、「来なければよかった」と言葉を出すか出さないかのうちにそれまでの雨は小ぶりへと変わってゆき、ステージ上では復旧作業が始められた。

2時開演の予定から遅れること50分ようやくコンサートが始まったわけです。

Dscf1250 レミオロメンの3人がステージに現れると3万人の観客は一斉にこれまで雨で沈み込んでいたのが嘘のように元気を取り戻し、ライブを誰もが満喫していた。

時折ステージ後方で光り続ける稲妻が野外ライブならではのエクストラな演出をもたらしてくれていた。

3曲目が終わったときにリーダーが「ここは何処だ」の質問を会場に投げかけたときに「ここは山梨」って行ってくれると思っていたのは僕だけだったらしく3万人は「滑走路」だってさ。「おじさんを」感じた私はナンだとふてくされていました。

10曲ほどの聴いていたが一曲も知っている曲がなく子供も唯一期待していた[NARUTO」のテーマ曲も出てこなかったために約束どおり途中で会場を後にすることになりました。

しかし冒頭「郷土の英雄」という言葉で表現したとおり「山梨出身」でこれだけ全国から支持されるレミオロメンのメンバーに「誇り」を感じました。

このあと大型のシャトルバスを貸切で甲府駅まで送っていただいて快適に家路につけました。

「快適」と申すのもこの日このコンサートが終わったあと当館へお泊りいただいたお客様がコンサート終了18時で駐車場から出たのが21時過ぎ、当館到着が22時を過ぎていらっしゃったことから考えて早めに切り上げて正解だったのかもしれません。

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コメント

いやはや大変なコンサートでしたね。お疲
れ様でした。とても様子がよくわかって
その場にいるかのような感じで読ませても
らいました。

レミオロメンは山梨からよく生まれたもの
ですね。さらにいろいろな分野で山梨発が
生まれるといいですね。

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